iPS細胞と人生観 | tomohilow blog

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ヒマがあればワリと書く。ヒマワリのごとくあかるい方向に顔を向けて生きていきたいです(`_´)ゞ

2011年5月26日発表のニュース。
「iPS細胞、がん化しない作製法を阪大チームが開発」
(詳しくは→→日経新聞の記事 )

iPS細胞とは、人間の体の細胞を体外で生成したもののこと。
再生医療と呼ばれる欠損してしまった人体の再生を、
細胞レベルから行う画期的な医療方法のタネとなる部分の細胞です。
(詳しくは→京都大学iPS細胞研究所 )

クローン技術は全く同体の体をそっくり作り出すことが出来る一方、
そのクローン体と主体との間には必ずタイムラグが発生することから
本当の意味で今の自分とまったく同じ記憶や体験を復活させることは出来ません。

が、このiPS細胞の技術がすべての細胞を対象に完全な形で再現可能だとすると、
それこそ古くなったパーツパーツを再生させながら死なずに生き延びて、
歳はとるけど老化を知らない人間が出来てしまいます。

冒頭のニュース記事はその技術を実現させる為に立ちはだかっていた
「iPS細胞の成長過程でのがん化」を取り除いたというニュース。

この再生の技術と移植の技術とが完全な形で叶えられればですが、
生きるということが永遠に近いものになり、iPS細胞で再生された細胞を
使って新しい体のパーツを交換する行為にかわるカラダに変わります。

体の一部を新しい細胞に取り替えられるのだとすれば、
それは歳を取るということが、そんなに意味を持たなくなる世界。

そこで生きている自分を少し想像してみると、
今とは全く異なった人生観を持っているのだろうなぁと思いました。

限りある寿命の中、儚いの歳月の中で生きるのだとすれば
やはり歳と人生の目標はかならずリンクしてくるのだと思います。

5月26日。
28歳の誕生日の翌日に読んだこの記事で、歳をとることと、
それに引っ張られて考える事について何か意味性を感じていました。


歳について引っ張られる人生の節目として漠然と、
29歳までには自分の道を決めようと思っていました。

人生の中の時間の流れって不思議とそのとおりになるみたいで、
今29歳までには何らかの道を決める(決めざるを得ない)
という状況に巡り会っています。

その状況は少し前に思っていたこととは異なり、一見逆境ですが、
最近は逆の考え方をし出して踏切り台に立たせてもらえてるのだと
ありがたく感じることすら出来てきています。

古い考えを捨て、新しい考えを取り入れていく為には、
今の何かを変えざるを得ない状況下はうってつけの契機と
捉えられると思っています。



ちょうど一年前、27歳の誕生日を迎えたときに、
身の回りに起きていた一連の出来事。

そのときにはこんなことがあるのだなと勝手にドン底を味わってた気も
しましたが、それらはすべて自分が招いたことだったのだと気づいた後に
身についた一連の考え方は財産になった気がします。

だから、歳をとることってすばらしい。
そういう考え方はブレないわけです。


インドのガンジス河に行ったときに、ガンジス河の水をがぶりと
コップで掬って目の前で飲み干してカカカ!と笑ったおじいさんがいました。

「おれはガンガーで生まれた。ガンガーはおれの母だ。わかるか?」

そのとき20歳だった自分は、こんなイカれたジジイがいるのか!
って思い、旅空の下、仰天していたのですが、、
今は自分がそういうことを若者に見せられるような
じいさんになっていたいなと思います。


#追伸#
ランチ、深夜のサプライズ、一連の乾杯。
誕生日を祝ってくれた方々。本当にありがとう!